Hey!Say!JUMP 結成3ヶ月 エリート集団の苦悩
【Hey!Say!JUMP 結成3ヶ月 エリート集団の苦悩】
目次
【はじめに】
Hey!Say!7
- 山田涼介
- 知念侑李
- 中島裕翔
- 岡本圭人
Hey!Say!BEST
- 有岡大貴
- 伊野尾慧
- 八乙女光
- 髙木雄也
- 薮宏太
旧Hey! Say! 7
- 山田涼介
- 知念侑李
- 中島裕翔
- 有岡大貴
- 髙木雄也
旧Hey! Say! 7は単独コンサートを行うほど人気があった。また、Mステに出たこともある。
[結成から3ヶ月]
2007年9月21日に結成。この時にメンバーが全員集められ、メンバー全員がHey! Say! JUMPの結成を知りました。この3日後に旧Hey! Say! 7のコンサートでHey! Say! JUMP結成が世間に公表されました。当時の平均年齢15歳。そんな彼らは、2007年11月14日にCDデビューをしました。
11月2日に『ワールドカップバレー2007』のスペシャルサポーターに就任し、その会場でデビュー曲を披露しました。ワールドカップバレーは4年に1度。4年に1回、ジャニーズJrがデビューできる大チャンスです。ワールドカップバレーが近づくと、Jrはソワソワしだすそうです。
ワールドカップバレー就任当時、メンバーには年齢問題により8時までしかテレビに出れないこともありました。そのため、年上のメンバーを中心にデビュー曲披露後にスペシャルサポーターとして受け答えなどをしていました。
そして、2007年12月22日にファーストコンサートを東京ドームで行いました。
[結成からの3ヶ月の年表]
2007年
9月21日 Hey! Say! JUMP結成を伝えられる
9月24日 Hey! Say! JUMP結成を公表
11月2日 ワールドカップバレー開始・就任
11月14日 CDデビュー
12月22日 ファーストコンサートin東京ドーム
彼らはたった約2ヶ月でデビューへの道を駆け上がったのです。 そのため、世間からは「エリート集団」と呼ばれました。また、「Jrの人気者の集まり」とも呼ばれていました。
こんなアウェイな空間がHey! Say! JUMPの始まりでした。
【エリート集団の苦悩】
薮宏太 (Hey! Say! JUMP)
鮎川太陽 (俳優)
山下翔央 (一般の方)
Ya−Ya−yahというグループは、ファンから「この4人で絶対デビューできる」と思われていたほどジャニーズJrの中では絶大な人気がありました。そして、彼ら自身も「4人でデビューしよう」と4人で意志を確かめ合うほどでした。しかし、どのグループにも生じてしまうグループ格差というものが生まれました。薮宏太と八乙女光は鮎川太陽と山下翔央と比べて人気があることは歴然と目に見えてました。
深澤辰哉(SnowMan)
有岡大貴(Hey! Say! JUMP)
伊野尾慧(Hey! Say! JUMP)
橋本良亮(ABC-Z)
亀井拓(一般の方)
浅香航大(俳優)
中島裕翔(Hey! Say! JUMP)
山田涼介(Hey! Say! JUMP)
知念侑李(Hey! Say! JUMP)
J.J.Expressは事務所の方に「史上最悪のグループ」と言われてしまうほど、グループの入れ替わりが激しかったグループです。そのため、正式メンバーはこの人だ!とは決めづらいです。また、本人達も自分がいつ、このグループから外されるか分からないという恐怖を抱えていました。
[岡本圭人]
元男闘呼組の岡本健一の息子であり、外国に住んでいたので帰国子女です。そのため、夏休みにしかジャニーズに来ない、期間限定のようなジャニーズJrでした。そのため、当時彼のことについてはJrファンの方にはあまり知られていませんでした。
[薮宏太 結成までの秘話]
実はHey! Say! JUMPの結成をメンバーに伝える前に薮宏太がジャニーさんに「you、このメンバーどう?」と今のHey! Say! JUMPメンバーの名前が記入されている紙を見せてもらったという秘話があります。この時の彼の心情は、
「僕がこの子達の未来を決めることになる」「Ya−Ya−yahのメンバーを裏切ることになる」そんな複雑な気持ちでした。なんて言おうと頭の中で考え、心を整理して、彼は
「いいと思いますよ。」
と答えました。
[伊野尾慧 結成までの秘話]
伊野尾慧は旧Hey! Say! 7に加入出来なかったことを悔しく思い、ジャニーさんに「自分はなぜ、Hey! Say! 7に入れなかったのですか?とても悔しかったです。」と伝えたそうです。
そして、ジャニーさんに彼の熱意が伝わり、これをきっかけに彼をHey! Say! JUMPのメンバーに入れたという話があります。ひょろっとした雰囲気がある彼はとても意志の強い、熱い男のようです。
[2つのグループを糧に]
Ya−Ya−yahとJ.J.Expressの2つのグループを犠牲にして、そして誰も知らない岡本圭人でHey! Say! JUMPはジャニーさんから結成を伝えられました。そして、Ya−Ya−yahとJ.J.Expressは自然消滅しました。そのため、素直に喜べないメンバーもいました。それでも、まだ小中高生のまだ若い彼らは「デビューできなかった人の分まで頑張ろう」と自分を何とか奮い立たせようとしました。2つのグループを犠牲ではなく糧にしようとしました。
[デビューすることは禁句]
当然、「デビューすることになった」と両親や友達に言いたかったそうです。しかし、それは許されませんでした。「デビューすることは誰にも言わないように」と固く事務所の方に言われました。この約束を破ってしまったら、「自分のデビューはなくなるのではないか?」と感じていました。Hey! Say! JUMP結成を知ってから公表までのたった3日間は彼らにとってとても長い時間でした。
[デビュー発表当日]
そして、Hey! Say! JUMP結成発表。白いタキシードを身につけ、「僕達がHey! Say! JUMP」と言いました。
そして、これがメンバー全員の戦いの会津であり、グループという証明の会津でもありました。
[岡本圭人の悔しさ]
CDデビューをするまでダンス練習では、今までイギリスで暮らしていた岡本圭人は少ししか日本語が話せませんでした。また、他ののメンバーと比べて、ダンスや歌などの実力には差が生じていました。当時、泣き虫だった彼はダンスなどの練習後、昼食を食べては泣くなどのことも当時はよくありました。
彼が食事中に泣いてしまった時、メンバーが彼に泣いている理由を聞くと「食べたら今まで練習したことが忘れちゃう」と言っていたそうですが、本当は「みんなの足を引っ張ることが悔しかった」からだそうです。
急に岡本健一の息子ですと言ってHey! Say! JUMPとしてデビューしたことはジャニーズJrとして頑張っていた人が悔しいと思うのは当然だから、「なんでコイツがデビューしてんだよ」って思われないように必死に彼は頑張っていました。
[ファーストコンサート 悔しさ]
CDデビューして約1ヶ月でファーストコンサートin東京ドームでした。そして、ライブは満員の観客と最高の盛り上がりでました。しかし、メンバーは複雑な想いは変わりませんでした。なぜなら、他のジャニーズJrの力を借りてファーストコンサートをしたからです。
ライブに来てくださったファンの中には自分たち以外のファンがいました。それは、Hey! Say! JUMPを目的としてライブに来たのではなく、Hey! Say! JUMPのバックで踊っている子を見るためにライブに来たファンがいたということです。それは、彼らにとって辛いことでもありました。また、Kis-My-Ft2を含むHey! Say! JUMPメンバーよりも先輩の方をバックで踊っていました。
彼らは、自分たちの実力不足に心を痛めました。
彼らはこの負の地点からスタートを始めました。
【まとめ】
彼らは決してエリート集団として好調なスタートではありませんでした。何の武器を持っていませんでした。また、彼らは他のグループの方よりも下積みが少なかったのです。
トントン拍子でプロの世界へ駆け上がる小中高生の若者には、あまりにも重すぎた責任とプレッシャーが降り掛かってきました。決して、デビュー結成からの3ヶ月間は楽なものではありませんでした。
彼らは今に至るまで多くの巨大な壁にぶちあたり、仲間の絆を確かめ合います。
センター交代。メンバー脱退。埋まらない客席。罵倒。彼らの笑顔の裏には。
→Hey! Say! JUMP 暗黒時代の苦悩 - むっちゃんブログ
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