Hey! Say! JUMP 暗黒時代の苦悩の奇跡
【Hey! Say! JUMP 暗黒時代の苦悩と奇跡】
目次
【はじめに】
Hey! Say! 7
山田涼介
知念侑李
中島裕翔
Hey! Say! BEST
有岡大貴
伊野尾慧
薮宏太
髙木雄也
2007年にデビューしました。そして、2020年で12周年目を迎えます。かつて、世間からは「エリート集団」と呼ばれたほどデビューへの道をあっという間に駆け上がりました。しかし、当時の彼らには、芸能界で通用する武器すら持っていませんでした。それが「エリート集団」の本当の姿でした。
デビューまでの道のりをあっという間に駆け上がった。たった3ヶ月の彼らの苦悩と奇跡→Hey!Say!JUMP 結成3ヶ月 エリート集団の苦悩 - むっちゃんブログ
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【暗黒時代】
[Ultra Music Powerから10年]
1枚目のシングルではUltra Music Powerを出しました。これがHey! Say! JUMPのデビュー曲です。彼らがロケットに飛ぶという演出があります。これは、今から世界へ羽ばたくぞ!という意味が込められています。
Ultra Music Powerでの「東の空へと」という歌詞があります。そして、10周年目で発売された曲のI/Oでも「東の空へと」と同じ歌詞がありました。ファンの中では10周年目を迎えたからこそ、デビュー曲の歌詞を使ったのではないか?と言われています。
[センター交代]
2枚目のシングルでは、DREAMS COME TRUEという曲が出ました。DREAMS COME TRUEのPV中にはちょくちょく、センターが中島裕翔から山田涼介に変わっていました。中島裕翔は、ジャニーズに入ってすぐに可愛らしいルックスと可愛らしい声でとても人気がありました。また、ジャニーズJrの絶対センターでした。DREAMS COME TRUEの出来事はファンの中で驚く人もいたと思います。
とは言え、今回のPVで山田涼介がセンターになることはちょくちょくあるぐらいでした。
[山田涼介のファンの増加]
3枚目のシングルYour seed/冒険ライダーのPVでは山田涼介と髙木雄也のWセンターでした。この頃、髙木雄也はごくせんに出演していたため世間からの認知度が高くなっていたことがありました。それに対し、山田涼介は人気度が上がっていて、これから推していきたいという事務所の意向もあり、センターにしたことが考えられます。
そして、このPVをきっかけで多くの山田涼介のファン増えました。それと同時に、Hey! Say! JUMPのセンターらしさが出てきました。そして、色気が学生とは思えないものでした。
[絶対的センター]
3枚目のシングルからは山田涼介は絶対的センターへと変わっていました。この時からグループ格差というものが出てきました。ミュージックステーションなどの音楽番組に出演すふ度に、山田涼介にカメラが向くばっかりでした。端のメンバーは見切れるだけ。1度も音楽番組でソロパートを歌えなかったというメンバーも沢山いました。
しかし、これは山田涼介が悪いのではなく、事務所が悪いのでもなく、Hey! Say! JUMPというグループが売り出すためにしなくてはいけない事だったのです。
[埋まらない客席]
毎年、CDを出し、ライブができる。これだけは変わりませんでした。一見、人気グループでした。いや、人気グループでした。しかし、ジャニーズというブランドのくくりで見ると、そこまで人気とは言えませんでした。
そして、ライブというものは残酷なもので、客席が埋まらないことがよくありました。そのため、アリーナ席(1階席)を一面ステージにするなどの工夫はしたものの、それでも埋まらない客席。あげくのはてには、天井席に風船を飾るなどをしていました。
今ではHey! Say! JUMPのライブチケットは取りずらいものですが、当時は第1希望と第2希望を書けば、どちらも当たってしまうなどファンにとっては嬉しいことでした。しかし、それはライブチケットが余っているということを表します。この出来事は、ファンもメンバーも悲しい出来事でした。それでも、彼らはファンに笑顔と勇気と夢を与え続けてきました。
[メンバー脱退]
2011年に6月ごろに森本龍太郎が未成年喫煙で無期限停止を受けました。
無期限停止は99%Hey! Say! JUMPには、もう二度と戻ってこないことを指していました。
丁度、そのころHey! Say! JUMPはSUMMARY of Johnnys Worldが行われるところでした。そんな時にメンバーの不祥事が起きてしまったのです。SUMMARY of Johnnys Worldの取材が行われる前に最年長薮宏太の謝罪の言葉と共にメンバー全員が頭を下げたニュースが世間に出ました。取材に対してはメンバーは森本龍太郎は今までいなかったかのように笑顔で受け答えをしていました。取材人も森本龍太郎についての質問はNGという事務所からの圧もあったのか、 森本龍太郎についての質問は殆どありませんでした。
そして、SUMMARY of Johnnys Worldは森本龍太郎なしで行いました。SUMMARY of Johnnys Worldは彼らの絆を強く固めました。
彼らは10人から9人へと今までのことがなかった事のように平然とファンに笑顔と勇気と夢を与え続けました。
[ライブでの罵声]
何もなかったかのように過ごすHey! Say! JUMPを森本龍太郎のファンは許しませんでした。森本龍太郎なしでのライブでは、「森本龍太郎を返せ!」という罵倒や物を投げたりするファンがいました。当然、強制退席されましたが、彼らの心をえぐったでしょう。今までの森本龍太郎と過してきた事を何もなかったように過ごすなどできるわけがありませんでした。
それでも、彼らはスポットライトが当たれば、笑顔でファンを癒し続けました。
【まとめ】
デビューから約4年。センター交代。埋まらない客席。メンバー脱退。ライブでの罵倒。
彼らが現在に至るまでには大きな壁がありました。それをメンバー全員で乗り越えてきました。助けを呼んでも、誰も助け舟を出してはくれませんでした。それでも、助け舟がなくても傍に寄り添ってくれるメンバーがいました。だから、今の人気があるのでしょう。
Hey! Say! JUMP デビューから6年目にして、転機が訪れる。しかし、7とBESTの人気の差。不仲説。埋まらないメンバーとの人気の差。
→Hey! Say! JUMP デビュー6年目で転機と苦労 - むっちゃんブログ
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